ツイッターをしていた頃、ある福島の方と相互フォローをしていた。
ツイッターを離れた後、彼が自分なんかのことを気に留めていてくれた。
自分がTumblrをやっていたことを覚えていてくれたらしく、Tumblrでフォローしてくれた。
彼のTumblrを開くと、自分へのメッセージがあった。
下のブログの投稿は自分がツイッターを離れた理由を自分の中で整理するための投稿であり、同時に彼にそれを伝えるためのものだった。
道化の華: <ハイコンテキスト>と<ムラ>性
読んでもらうと解ると思うけど、これは別に反原発派だけを批判しているわけではない。
周りが見えなくなっている<一部のおかしな方向>に突っ走っている反原発派、そしてそうした一部の反原発派を批判する方々の中にも<同じようにおかしな方向>に突っ走っている方々がいることに疑問を感じ、
同時に自分に対しても「そういうお前はどうなんだ?」と自分に対して反省を促し、これからも自分の立ち位置を度々確認する必要があるぞ、というような内容だった(と思う)。
Bloggerで自分をフォローしてくれている人がいた。
元々はカッコいいバイクを造っていて、それで自分からフォローしていた。
しかしながら、その人は自分の中で「一部のおかしな反原発派」に見えてしまったので、フォローを止めていた。
さっき何の気なしに読んでみた。
この投稿はきっと自分のブログへの返答に当たるものなんだろうな。
大神戸共榮圈: フクシマ論と原発村
この投稿で開沼博さんの『「フクシマ」論』をあからさまに馬鹿にしている。
この人は『「フクシマ」論』を読んですらいないのに馬鹿にしているんだろうな。
『「フクシマ」論』が提起している問題を理解していないのだから。
きっと原発立地地域は<完全な悪>であり、きっと原発立地地域の過去を遡り、歴史的な背景を知り、どうすれば原発立地地域が良い脱原発が出来るのだろうか?と考える人間は「原発ムラ」側の人間であり<悪>であると決め付けているのだろう。
自分が勝手に決めた<完全な悪>に対して批判とすら呼べないようなただの誹謗中傷だけしているのは楽だ。
自分が<完全な善>になることができるから。
自分のブログに書いたことは「こういうこと」がおかしいのでは?と言ったつもりだったのだけれど。
正直、自分より一回りは離れているオトナがこういう考え方をしているのはゾッとする・・・。
これを読んで大神戸共榮圈さんをブロックした。
だから氏がこの投稿を読むことは無いだろう。
要は陰口だ。
これは自分が批判しなきゃいけない類の卑怯な行為なのはわかっている。
こういう言い争いのようなものを散々ツイッター上で見てきて、もういい加減うんざりしているんだ。
卑怯でも、くだらないことを繰り返すより幾分かはましじゃないか。